NYダウ夢の4万ドル突破
今年の日本の春は5月中旬を過ぎても各地では寒暖の差が激しく、聞き馴染みが少ない「春バテ」で体調を崩されてしまう方が多いようです。
寒暖差が7度以上あると「春バテ」が生じやすく、特に今年は10度以上の寒暖差が生じることも珍しくありませんので、お体には十分ご注意ください。
予防対策としては
①バランスの良い食事を心がける
②入浴で体を温める
③適度に体を動かす
④質の良い睡眠をとる
ということがあげられます。
これらの予防対策を取っていただき、「春バテ」を乗り越え「これから良い出来事が沢山起こるだろう」と期待に胸を膨らませ毎日を元気にお過ごしくだされば幸いです。
そのような中で、日経平均株価は令和6年3月21日に4万円を超え、同年5月17日にNYダウ(ダウ平均株価)は、ついに“夢の4万ドル”を超えました。
この大台に到達するまでの道のりは簡単ではなく、1987年10月に突如発生した「ブラックマンデー」を始め、「米国の同時多発テロ」や「リーマンショック」、直近では「コロナショック」など幾多もの苦難を乗り越えたどりついた値です。
今後もNYダウや日経平均株価が上昇し、世界経済が良くなってくれることを望みますが、高値警戒感が出ていることも事実としてありますので楽観視はできないものです。
そもそも株式の始まりとは
そもそも株式となる起源は何時できたのだろうかというと、大航海時代までさかのぼり17世紀ごろになります。
当時ヨーロッパ諸国は15世紀から17世紀にかけて、南北アメリカ大陸やアフリカ大陸、そして、アジアなどへ航海し新たな土地を発見しては領土とする新規開拓をしていました。
大航海時代の始まりではスペインとポルトガルがけん引役となり、その後にイギリス、フランスと続いていきました。
この大航海時代に覇権を握った国が株式のルーツを作ったといっても過言ではないのです。
この覇権を握った国はスペインでもポルトガルでもなく、イギリス、フランスでもありません。弱小な国でスペインの植民地でもあった小国、現在のオランダになります。
オランダがどのようにして覇権を握っていくのかというと、今までにない新しい手法で「東インド会社」という民営会社を設立し貿易で利益を生むという方法でした。この民営会社設立が株式の始まりとなりました。
東インド会社の登場
当時のインドは現在のインドとは違いインダス川の東にあるすべての地域を指していましたが、コロンブスが発見した地域をインドの西端とすることが一般化され、「東インド」と「西インド」に区分けされました。「東インド」はアラビア半島やアフリカ、インド、東南アジア、中国、日本を含む東アジアと広範囲な地域を指し、「西インド」はマゼラン海峡から西側の諸島を含む全ての地域を指しました。
そしてヨーロッパ諸国では東ンド会社という民営会社を挙って設立していきました。
1600年にイギリス東インド会社が設立し、続いて1602年にオランダ東インド会社が設立、1664年にフランス東インド会社(1604年に設立という説もある)、1670年デンマークアジア会社、最後に1731年にスウェーデン東インド会社が設立されました。
東インド会社を先駆けて設立したイギリスとオランダはポルトガル、スペインに代わりインドや東南アジア、中国に進出し貿易の利益を競い合いました。
いずれも「会社」という新しい組織で、国によって性質は異なりますが“特権がある貿易会社”という概念から重商主義政策に結びつきます。貿易船を派遣する代わりに特益料を国に払い、間接的に国が貿易で利益を得ることができる組織として会社は運営されました。
東インド会社は香辛料、綿織物、絹織物、陶磁器、茶など、アジアの特産品をヨーロッパに運び、各地の中継貿易で利益を上げました。
オランダの舵取り
大航海時代の貿易は常に危険と隣り合わせでした。
貿易で成功した場合はアジアからの特産品を大量に持ち帰り、莫大な利益を生むことができましたが、反対に船が難破や災難にあった場合は膨大な損失になりました。
そこで、貿易で損失を出来るだけ細分化するために大勢の人から資本の出資を募ったことが株式の始まりと言われています。
端的に説明すると、イギリス東インド会社は1航海毎に出資をつのる方法で無限責任(負債額の全額を支払う責任を負う)とし、1航海毎に清算していため恒常的な株式会社とは言えませんでしたが、反対にオランダ東インド会社は有限責任(出資額を超える責任は負わない)で事業の継続を前提とし、所有する株式の譲渡などは自由に行われ、さらに少額でも購入することを可能としたため、一般庶民でも出資やすい環境を整えたのです。
多数の人が出資し、事業も継続という概念から1回の航海で帰国することなく、長期的な計画が立てられ遠方でも拠点を設けることができたため莫大な利益を持ち帰ることができたのです。
その為、オランダ東インド会社への出資は大人気となり、世界初の株式会社として、投資家から巨額の資金を集めることに成功し、世界で初めて作られたアムステルダム証券取引所で、オランダ東インド会社の株式は取引されました。
先駆けて設立されたイギリス東インド会社の10倍の資本金で会社を運営するまでに至ったのです。
オランダは領土を広く多く持つという当時の覇権国家の思想とは違い、広い海上で利益を獲得していく方法に舵を取りオランダ黄金時代を築き上げるのです。
1590年代の神聖ローマ帝国の領土だったころから、世界で最も優れた海運国、経済大国になるまでのオランダの変遷は“オランダの軌跡”と言われています。
日本とオランダの関係
周知の通り日本の江戸時代は鎖国時代でした。
その中で唯一交易が許された国がオランダで、長崎の出島は有名です。
オランダとの交易が許されたのは、布教をすることが目的ではなく貿易をすることだと約束したからです。
約束通りオランダは布教活動せず貿易をすることだけに専念したことにより、江戸幕府はオランダの貿易港として、長崎の出島を二百数十年積極的に保護しました。
それ以降も現在に至るまで、オランダと日本の関係は良好で経済交流も深く、特にオランダ王室と日本の皇室は緊密な関係で交流が続いております。
今回は株式の始まりとなる話をフォーカスしましたので、話全体としては綿密さに欠けております。
また、皆さんが知っていることが殆どだったと思いますが、何かの参考になり、皆様のお役立つことができましたら幸甚です。