お金の起源(紙幣編)

日本の首都東京では都知事選も終わり、色々な意見はあるものの現職の小池百合子氏が第3期の都政を担う事となりました。

個人的に今回の都知事選で感じることですが、過去最高の56人が立候補した事には驚きました。思想や価値観の違いはあれども、現在の東京都のあり方や日本のあり方に違和感を覚える方は多くいらっしゃり、勇気をもって異を唱える人たちが立候補したのだろうと推測し、その結果の一つとして、過去最高の立候補者が誕生したのではないかと感じます。

その中でも、これまで東京都政に絡んでおらず、いわば東京都には大きな功績が無い前広島県安芸高田市長の石丸信二氏が2位となった結果は、目を見張るものがあると感じます。これからの時代を背負っていく若者を中心とした無党派層から支持を得たという評論はあるものの、政治に対し関心が無かった若しくは低かった方々が投票に動いたことも鑑みると、彼が世論に訴えかけた事はある意味大きかったのではなかろうかと感じます。

確かに、将来の日本を想像するにあたり、現在日本の経済力は年を追うごとに低下し、GDP(国内総生産)はドイツに抜かれ4位となり、インドに抜かれてしまうのも時間の問題と言われていることは周知の通りです。このまま経済力が衰退し老人大国日本となれば、GDPの低下はさらに加速し発展途上国に逆戻りするのではなかろうかと警鐘を鳴らす方もいらっしゃいます。

しかしながら、ECI(経済複雑性指標)という指標があり、その中で日本は1984年からずっと世界1位をキープしているとのことです。

ECI(経済複雑性指標)とはEconomic Complexity Indexの略でGDPに代わる新たな指標として注目されているもので、各国の経済成長の予測手法として用いられることができるものとされているそうです。

出典:経済複雑性観測所 (The Observatory of Economic Complexity)

名前から見て判断すると、複雑な経済状況を彷彿させるように思いますが、要約すると 「国内総生産(GDP)のように生み出したモノの量ではなく、モノを生み出すための能力指標であり、生み出したモノの知識集積度が高ければ、ECIは高くなっていく」という事のようです。

つまり、日本は「複雑なモノを作る能力は世界No.1である」ということを示しているのです。

そして、ECIはGDPとの相関関係にあると言われ、その観点から見ると「日本経済は今後益々発展していく潜在能力を大いに秘めている」との見方ができるのです。

そもそも、日本は資源が無い国であり、原材料を外国から輸入し、その原材料を日本国内で世界のニーズに合う製品に作り変え、輸出をして成り立ってきた国です。

そう考えると、今まで日本経済を作ってきた偉大な先輩達がいて、人口が少なくなるということは違った側面で見ると少数精鋭と解釈できる訳であり、先輩達から受け継いだ良い伝統(技術力)を若い世代が更に進化させ、密度の濃い新たな日本経済というものが生まれるのではないかと筆者は期待に胸を膨らませます。

その新たな技術力の一つとして、2024年7月3日から新1万円札、新5千円札、新千円札が登場しています。既にお持ちの方もいらっしゃるかと思いますが、新札がしわもなく綺麗な状態で入手することが出来たら、鑑定品にして丁寧に保管しておきたいと考えています。特に今回の新札は日本がキャッシュレスになってきているため、発行数が今までの刷新と比べ少ないと言われています。その為、今後発行数が少ない年の新札鑑定品を所持していればレアものとなる可能性があるのではなかろうかと個人的には楽しみにしております。

当然のことですが、需要と供給のバランスで見ると物の数が少なく、ニーズが増えると希少価値が生まれ物の価値は高くなります。そのことを踏まえると、日本の労働人口が減るのであれば、日本人が得意とする加工する技術力が更に進化すれば、世界に負けない豊かな国になるのではないかと思います。

紙幣の始まり

前回は「そもそもお金とは」という事にスポットをあて、古代文明の物々交換から始まり、日本で初めて貨幣制度が統一した江戸時代までの流れを端的にお伝えしました。

そもそも、お金と言われるものは「流通貨幣(通貨)」であり、物と交換することが公で認められたものです。

誰でも簡単に作れるものではなく、時の権力者が象徴として、一般人が容易く入手できるものではなく、当時では珍しい貴重な金属等の地金を一定の重量で整形し、特定の図柄を刻印して通貨として使用しました。

その後、経済が発展していくと通貨を発行するだけの貴金属が不足していきます。また、大量の金貨を持ち運びするには相当な労力となるので、利便性に欠けていました。その為、貨幣制度の根幹となる貴金属の通貨を定め、いつでも貴金属に交換することが出来ることを保証した紙が誕生しました。

これが紙幣の始まりで、本位貨幣、又は金貨本位制といいます。

一番初めに紙幣が誕生した国は中国

世界で初めて本格的な紙幣が誕生したのは、

10世紀の北宋時代で現在の中国になります。

「交子(こうし)」といわれた紙幣が始まりだといわれています。

(左画像参照)

北宋では「交子」、南宋では「会子(かいし)」といわれ「交子」の発行所を「交子鋪(こうしほ)」と呼ばれていました。

宋が誕生する前の五代十国時代に四川地方で商業活動が活発化していて、主要な貨幣が銅貨(銅銭)で需要が大変に多く、銅の生産量が少ないことから、鉄を使用した「鉄銭(てっせん)」を発行し銅銭の代わりをしていました。

鉄銭は銅銭に比べ重く、持ち運びに不便でありながら、価値が銅銭の1/10程度の価値しかなかったので、四川の中心都市「成都(せいと)」にある16の交子鋪が組合を作り、鉄銭を預かってその預り証書を発行しました。その預り証書が交子と呼ばれ、信用が徐々に高まり、高まった交子に対し宋政府が介入し発行限度額を決めて流通させたことにより正式な紙幣と認められました。

東方見聞録の著者として有名なマルコ・ポーロが中国に訪れたのは13世紀のことで、当時はヨーロッパには紙幣が未だ存在していませんでしたが、中国ではごく自然に紙幣が流通していたと記録されています。マルコ・ポーロが中国に訪れる約300年前には、紙を大量に作る技術や文字、絵などを紙に印刷する技術が中国にはあったのです。その為、最初の紙幣が中国で生まれたということは不思議ではなかったのです。

現在でも偽札作りは犯罪ですが、当時の偽札作りの罪は現在よりも遥かに重く、犯人は死刑にされていました。その為、警告文が交子に記され偽札作りの犯罪をしないよう注意喚起していました。また、偽札作りの犯人を見つけた者には賞金がでたり、犯人が所有する財産も貰える決まりになっていたりと、偽札作りの犯罪行為には相当警戒し、当時の政府があらゆる手段をとっていました。

ヨーロッパの紙幣

紙が発明されたのは中国で2世紀初めのころです。当時紙の製法は樹皮や麻くず、漁網などを水に溶かして、それをすいて紙を作っていました。紙を作る技術は大変貴重であったため、中国から諸外国には簡単に伝わりませんでした。マルコ・ポーロの東方見聞録では「桑の樹皮を煮詰めて紙を作り、小さく裁断して紙面に金額を印刷し、ハン(元の皇帝)の朱印を捺したものが紙幣となった。ハンは一切の支払いを紙幣で行い、統治下の全王国に流通させ、紙幣を拒んだ者は死刑になる為、誰一人として拒むことが無かった。ハンの臣民は快く紙幣で支払いを受けていたので、どこでも紙幣は利用できた」と記されています。

では、実際にヨーロッパで紙幣が誕生したのは何時なのかというと17世紀中ごろ1661年です。

現在のスウェーデンにあった民間銀行、ストックホルム銀行が発行した銀行券が最初の紙幣といわれています。

(右画像参照)

ストックホルム銀行は短期間で経営破綻してしまい、政府が受け皿となりリクスバンクを創設し、これが世界で初めての中央銀行となりました。その後、1694年にイギリスでイングランド銀行が設立し、約束手形が発行されヨーロッパで流通していきました。

日本の紙幣誕生

日本の紙幣の始まりは、「建武記(けんむき)」に記録されている1334年に後醍醐天皇が発行した「楮幣(ちょへい)」だといわれていますが、実物が現存しておらず実際に発行された紙幣なのかは定かでありません。

実物が現存する最古の紙幣だという説があるのが1623年に伊勢国山田商人が発行した「山田羽書(やまだはがき)」が北宋の交子に次いで古い紙幣といわれています。

(左画像参照)

しかし、全国で通用する政府紙幣が始まりだという観点で見ると明治時代の1868年に発行された「太政官札(だじょうかんさつ)」が該当します。

(右画像参照)

当時日本の貨幣制度は未整備に近く、政府発行の太政官札は単純な製法であったため偽造券が多発し、1870年にはドイツに製造を依頼しゲルマン紙幣が新紙幣として流通しました。

1873年国立銀行条例により第一銀行(のちの第一勧業銀行で、現在のみずほ銀行)が設立し、その後153個の国立銀行が次々と開業し国立銀行券を発行していきました。

1882年に現在の日本銀行が設立され、銀行券の発行は日本銀行独占のものとなり、政府紙幣と国立銀行券は市場から回収されていき、1897年の貨幣法により金本位制が採用されていきました。

そして、1932年には管理通貨制度に移行し現在に至っています。

今回は紙幣誕生ということにスポットをあててみました。

皆さんが知っていることばかりかと思いますが、何かのお役に立つ事が出来ましたら幸甚です。