トランプ大統領「世界共通関税・相互関税」発表

今年も寒い季節を乗り越え、一年に一度楽しむことができる桜も咲き、都会にある木々にも新緑が芽吹きだし自然界のエネルギーを感じる季節になりました。まさに春到来です。
今年の日本全国に咲く桜の見どころは例年より遅い傾向が多かったようですが、桜の満開時期には各々の地域でイベントやお花見などで大いに盛り上がっていたようです。
まだまだ油断はできませんが、やはり、コロナ禍でくすぶっていた時期と比べますと外でお花見や宴会を楽しまれている人々の光景を見ていると気持ち的に安堵する方は多くいらっしゃるのではないでしょうか。
過ごしやすい季節を迎えることにより、景気も良くなり皆さんの生活も憂いを成して過ごしやすくなることが最適なのですが、思うようにことが運ばないのも試練の一つなのかもしれません。

そんな試練の一つとして、日本時間2025年4月3日に米国のトランプ大統領が世界共通関税と相互関税を課す大統領令を発令したことは皆さん周知のことだと思います。
今年の日経平均は年初で約40,000円を超えていましたが、トランプ大統領の関税発令が出た際には一気に値が崩れ30,000円を割れこむのではなかろうかという勢いで下落しました。
大勢の方がこの下落する動きを目の当たりにしたので景気の先行きなどに大きな不安をよぎらせたと思います。
ましてや、短期間で大暴落したため1990年のバブル崩壊を彷彿した方もいらっしゃったのではなかろうかと推測しますが、その後「相互関税90日間停止」の発表があり、日経平均は上昇し4月24日現在では概ね35,000円台となっています。
今覇権を握っている国は米国である為、相互関税は米国経済を立て直す意味で相トランプ大統領が思案したことだとは思いますが、米国大統領の発言により世界の株価が乱高下する様子は凄いを超え唖然とするばかりです。
今後日本政府は米国政府と向き合い日本経済が良くなるように、そして、日本国民が安心した生活が送れるような働きかけをしていただきたいと切に願う次第です。
コロンブスより先にアメリカ大陸を発見
トランプ大統領再任から世界的に株価の乱高下が続き、各国々では景気の先行きに不安を持たれる方が多くいらっしゃると思いますが、そもそもこのアメリカ合衆国というのは何時誕生し、その後どのような流れで覇権を握る国になっていったのかを今回は掘り下げていきたいと思います。
「アメリカ大陸を発見した人物はコロンブス」という方が多くいらっしゃると思いますが、実はコロンブスより先にアメリカ大陸を発見した人物がいるのです。
それは今からさかのぼる事10世紀末頃、当時ノルマン人はヴァイキングとして知られており、そのノルマン人の一人で航海者であった「レイフ・エリクソン」という人物がアメリカ大陸の第一発見者という説があります。

このことはノース人によるアメリカ大陸植民地化を記した「ヴィンランド・サガ」というものに記録されています。(「ヴィンランド・サガ」とは「グリーンランド人のサガ」と「赤毛のエイリークのサガ」と二つのサガを合わせた名称で共に二大文献史として数えられています。)
事実として、19世紀以来アメリカでは毎年10月9日にレイフのアメリカ大陸到達を祝う「レイフ・エリクソン・デー」として記念日にされていますが、「コロンブス・デー」よりは認知度が低いことは否めないようです。
その他、この「レイフ・エリクソン」はグリーンランドを発見し、そのグリーンランドにキリスト教の教会を最初に立てた人物としての方が知られているのかもしれません。
その後、1492年10月12日に皆さんご存じの通りで馴染みがあるクリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に到達しました。そして、現在もこの日がアメリカ大陸発見記念日となっております。

植民地時代
15世紀末コロンブスがアメリカ大陸到達以来アメリカ大陸には、初めはスペイン人が移住し、その後にフランス人、イギリス人とヨーロッパから次々と移住し東部の海岸地方を現地人(インディアン若しくはネイティブアメリカン)から奪い取り定住するようになりました。
その後、ヨーロッパの色々な国から人が移住してきたため頻繁に争いごとが起こるようになり、同時に現地人との間との抗争も相まって1776年独立宣言をするまでの間に多くの戦争を繰り広げました。
ウィリアム王戦争、アン女王戦争、ジョージ王戦争、フレンチインディアン戦争と立て続けに大きな戦争が起こりましたが、イギリスが凡そこれらの戦争を優位に進めて植民地を拡大していきました。
しかし、戦費がかさむことによりイギリスの財政は苦しくなり、次第に植民地側に戦費負担を押し付けるようになりました。

植民地側に様々な課税をするようになったため、植民地側は強く反発し13ある植民地の代表が大陸会議を開催しイギリスとの対決を決意し、1775年4月にボストン郊外にあるレキシントンで植民地軍とイギリス本国軍との衝突がきっかけでアメリカ独立戦争が勃発し、1776年7月4日に植民地側はアメリカ独立宣言を行いました。
現在でも7月4日はアメリカの独立記念日としてアメリカの各都市で盛大にお祝いされています。
植民地側であるアメリカとイギリス本国との戦いは凄まじい戦いで長期戦となりましたが、1781年10月のヨークタウンの戦いでアメリカ軍側の勝利となり事実上戦闘が終結するようになりました。
その後、1783年9月にパリ条約を結ぶことにより約8年に渡る長い戦争に終止符を打ち、アメリカは世界史上初の国王や貴族のいない共和政連邦国家として成立しアメリカ合衆国となりました。
この独立戦争はイギリス植民地支配からの解放を実現しただけではなく、市民が権力を掌握した国家として誕生したというので、後にヨーロッパの各地で起こる産業革命のきっかけとなったのです。

また、アメリカ合衆国の星条旗は1777年6月14日に採用され、州が加わる毎に星が追加されていき現在では50個の星になっています。アメリカ合衆国誕生後の初めての首都はニューヨークにおかれましたが、1790年にフィラデルフィアに移り1800年初代大統領の名前を付けたことによりフィラデルフィアからワシントン特別区(ワシントンDC)となり現在に至っています。
アメリカ領土を拡大

アメリカ合衆国は誕生後に始まったフランス革命以降ヨーロッパの内戦には中立を守っていました。
ナポレオン戦争でも中立を維持していましたが、ナポレオンの大陸封鎖令の対抗処置としてイギリスがフランスと貿易をしているアメリカの貿易船を妨害したことがきっかけとなり米英戦争が勃発しました。

この米英戦争を別名第二次独立戦争と言われ、戦争開始当初は無意味で無謀な戦争と言われアメリカの首都ワシントンがイギリス軍に攻撃され焼き払われる事態にもなり、当時の大統領がヴァージニアまで疎開するまでに至りました。
勢いに乗るイギリス軍をアメリカ軍はマックヘンリー要塞で激闘の末に退けさせ窮地を脱することに成功しました。
余談ですが、この激闘の後、夜明けと共に砦に星条旗があげられる様子を見たひとりのアメリカ人弁護士が感動し、当時はやっていた「天国のアナクレオンヘ」という曲に合わせ詩を作り歌ったところ大好評となり、アメリカで広く歌われるようになりました。この歌こそが現在のアメリカ国家「星条旗」となっています。
話は戻り、米英戦争は無益だったと言われつつもイギリスと互角に戦う中でアメリカ人のナショナリズムが芽生え、イギリス工業製品が入ってこなくなったことからアメリカ産業がイギリス依存体質を抜け出すことに成功し経済的な自立が図れるようになりました。また、イギリス軍側についていたインディアンの土地を奪い西方へ発展していき1853年までには西側の州も含めた新たなアメリカ合衆国が誕生したのです。
今回のお話は2回に分けてお伝えいたしますが、
ここまでの話はアメリカ合衆国誕生までをクローズアップしました。
皆様ご存知のことばかりだと思いますが、何かのお役に立つことが出来ましたら幸いです。